舞台「百鬼オペラ 羅生門」感想。躍動する満島ひかり
昨日の「ワーニャ伯父さん」に続いて、満島ひかりの舞台「百鬼オペラ 羅生門」を観に行った。
他にはダブル主演で柄本佑、仮面ライダーメテオの吉沢亮が出ている。
芥川龍之介の同名小説と「鼻」と「蜘蛛の糸」をミックスしたストーリーを外国人が演出した作品らしい
会場は昨日の新国立劇場小劇場と同じぐらいの大きさ。満員で立ち見客もいた。
平安時代(?)に京の「羅生門」の近くで起きた殺人事件を3人の目撃者の視点から描く。それぞれの見た出来事は食い違っており、どれが真相なのかよくわからない、随所に亡者や妖怪が出てきて、かなり幻想的な雰囲気。
着ぐるみみたいな妖怪や全身タイツの亡者も含めて出演者が大きく動き歌い踊る。(オペラだから?)
満島ひかりは、夫を殺される悲劇的な妻の役。小柄ながら動きに切れがあって、盗賊ともみ合うシーンやダンスでは猫と言うかヒョウを連想させるしなやかで迫力ある演技だった。
出演者の人数が昨日の「ワーニャ伯父さん」より多く、満島ひかりの出番がもっと多ければいいのにと思って見ていたが、最後の山場では、続けて出てきてたっぷり歌い踊ってくれた。
昨日に続いて2時間超の公演時間はあっという間に過ぎた。
最後の出演者総出でお辞儀するシーンでは地面に手が着くぐらいの前屈を見せてくれた。さすがに身体が柔らかい。
そのときに、お辞儀が深すぎてロングヘアーが顔の前をふさいでしまい、髪をかき分けようとする(たぶん素の)仕草も含めて「カルテット」のスズメちゃんを連想させる年齢不詳のキャラクターがうかがえた。
やっぱり生の観劇はいい。また機会があれば「遠征」しよう。
舞台「ワーニャ伯父さん」感想。黒木華の凜々しさと宮沢りえの妖艶さ
数年前から、東京に来た時は何かを「生で見る」事にしている。
映画なら地方でも見られるし、パソコンやカメラ等の電気製品もAmazonやヨドバシのサイトで買えるようになったので、田舎に居るハンディはあまり感じなくなった。
そんな中で、演劇でもコンサートでも落語でも大相撲でもいいが、「生」やっているイベントを見るのは(ほとんど)都会でしかできない経験なので、「ぴあ」で公演を検索して予約するようにしている。
今回は、9月15日(金)の夜と16日(土)の昼に時間がとれたので、2本の舞台を見に行くことにした。
まずは、チェーホフ作でケラリーノ・サンドロヴィッチ演出の「ワーニャ伯父さん」。
劇場にたどり着くまでにいろいろあったが、それは別に書く。
会場の新国立劇場小劇場は満員だった。
帝政ロシアの田舎屋敷で暮らす農夫ワーニャ(段田安則)と姪のソーニャ(黒木華)のもとに、ソーニャの父で元大学教授のセレブリャーコフ(山崎一)と後妻のエレーナ(宮沢りえ)が戻ってくる。
平穏だった田舎屋敷の暮らしは、教授夫妻の帰還によって一変してしまう。
ロシアの作家チェーホフの4大戯曲の1作で、同じケラリーノ・サンドロヴィッチ演出の舞台としては「かもめ」「三人姉妹」に続く3作目らしい。
ケラリーノ・サンドロヴィッチと言うと、TVドラマ「時効警察」や「怪奇恋愛大作戦」、映画「罪とか罰とか」の演出・監督で知っていて、不思議な間合いの面白い作品を作る人として名前を知っていた。(上の3作品は麻生久美子出演作でもある)
と言うわけで「ロシア文学を原作にしたコメディ」だと思っていたが、全然そんなことはなくて、(おそらく)原作に沿ったまじめなまじめな舞台だった。
農場を経営し苦労して義兄に仕送りするワーニャの苦悩、「性格はいいが容姿に難がある」ソーニャの淡い恋心、奔放で魅惑的に見られる事に悩むエレーナ、気むずかしい学者のセレブリャーコフ、ソーニャに慕われながらエレーナに恋心を抱く医師アーストロフ(横田栄司)…、それぞれ苦悩を抱きながら懸命に生きようとする人々の営みを、2幕2時間で描いている。
他にも芸達者な方々の演技は迫力があり、発声もしっかりしていて「舞台俳優って凄い!」と圧倒された。
宮沢りえは、妖艶でいながらチャーミングであり、多面性のあるエレーナにぴったりだった。ときどき非常に若く見え、20歳近く歳の違う黒木華と並んだシーンでは姉妹みたいにも見えた。
黒木華は、凜として美しく、背筋をしっかり伸ばして立っている姿だけでも絵になる。「重版出来!」のコミカルな演技が印象に残っていたが、この作品では、うって変わって可憐なヒロインにぴったりの演技で、芸域の広い方だと感心した。
美しい女優さんと格好いい俳優の方と同じ空間を共有する舞台を見ていると、時間が瞬く間に過ぎて終演となった。
いろいろ(自己責任で)苦労したが、それにお釣りが来るぐらいの幸せな時間を過ごすことができた。
真面目な青春映画ではあるが、真面目すぎて物足りない――「パワーレンジャー」
「特撮」はそれなりに見ているが、現行の「キューレンジャー」の劇場版を見に行くほどではない私。
「パワーレンジャー」も名前や成り立ちは一通り知っているが、番組自体はケーブルTVでやっているのをチラッと見た程度しか知らない。
そんな状況なので見に行くかどうか迷ったが、サブカル系の雑誌なんかでは大きく取り上げられているし、「アメリカではまずまずのヒットだったが、中国で大コケ。続編が作られるかどうかは日本の興行収入次第」という状況らしいので、夏バテ気味だが見に行ってきた。
松山でも3館でやってるが、公開3日目の祭日なのに10人ぐらいしか入っていなかったけど大丈夫か?
さて内容の方は、ところどころに日本の戦隊物のノリもあったが、基本的にはハリウッドの大作映画のフォーマットで作られている。
前半があまりにも丁寧に登場人物の私生活を描いていて、まるで青春映画。(実際にBGMとして「あの」スタンド・バイ・ミーが使われているし)
真面目に登場人物の背景を描写するのはいいと思うが、ヒーロー映画の「お約束」の部分をもっと多ければ単純に楽しめたと思う。
変身のポーズもなく、見得を切った名乗りポーズもない。ただし、「あの採石場」みたいな場所で戦ったり、主題歌をBGMに駆けつける味方メカを横から撮ったアングルは、日本のファンへのサービスなのか?
見た人の多くが抱く感想だと思うが、「変身するまでに時間がかかりすぎる」。
この手の映画の常としてスーパーパワーを手に入れた主人公が最初に無双するシーンがあるのがお約束だが、本作では1回しか変身しないし戦うのも30分未満で、予算の問題もあるのかもしれないが、特撮ヒーロー物としては、やや物足りない。
東映が日本のファン向けに同程度の予算で映画を作ったら、始まって15分が導入部で、次の15分で5人がそろって変身して最初の敵を倒して巨大ロボットに乗って戦って、次の15分で強い敵が出て来て戦って敗れて、次の15分でパワーアップして敵を倒して、次の30分で6人目の戦士が出て来て紆余曲折合って仲間になって、最後の30分でラスボスと最終決戦…という構成になるのではないか?
そんな映画の方が見たかった気がする。
なお、吹き替え版の方を見たが、勝地涼や古田新太は違和感なかったが、ピンクレンジャーの広瀬アリスの演技に違和感があったので、字幕版を見るべきだったと後悔している。
現在のカメラ環境について――「一眼レフ」から「ミラーレス」の「α7II」へ移行
1.そもそも私は…
このブログでは映画とかガジェットのレビューしか書いていないが、インターネット活動の本業(?)は「<a href="http://www.digicamezine.com/" target="_blank">デジカメジン</a>」と言うデジタルカメラの情報サイトの運営であり、最も興味がある分野が「カメラ」の私。
当然、デジカメやその交換レンズのレビューも書いてみたいと思っている。(もとのブログでは何回か書いていた)
カメラや交換レンズのレビューという物は準備に手間が掛かるのであまり頻繁に更新できないかもしれないが、残していきたい情報なのでボチボチでも書いていこう。
2.手持ち機器構成
その前に、今のカメラの構成を紹介しておかねばなるまい。
まずは、主力機として使っているのがソニーの「α7II」。
交換レンズは、標準ズームが「FE 24-70mm F2.8 GM」。望遠ズームが「FE 70-300mm F4.5-5.6 G OSS」。マクロが「FE 90mm F2.8 Macro G OSS」。その他、数本。
コンパクト機はキヤノンの「PowerShot G7X Mark II」とリコーの「GR」。
カメラのボディーはあまり頻繁に買い換えないようにしているが、レンズの方はボーナスなどで資金に余裕ができると物欲に負けてしまい、ついつい買い足してしまう。
3.里子に出している機器も…
以前は、ソニーのシステムに加えてオリンパスのマイクロフォーサーズ機「OM-D EM-1」と交換レンズ数本を持っていたが、京都の大学に行った息子が写真を撮る事に興味を持ち、「手頃なシステムカメラはないか?」と言われたので、一式を貸している。(本人はもらったつもりかもしれない)
「どうせすぐに飽きるだろう」と思っていたら、写真が趣味の先輩に出会った事もあり、いろいろと撮っているらしい。
(↓以下2枚は、息子が撮った写真)
4.「ミラーレス」になった経緯は次回
持っているカメラがいわゆる「ミラーレスカメラ」ばっかりである。
以前は、ニコンやオリンパスのミラーレスじゃない「一眼レフ」カメラも持っていた。
しかし、3年ほど前に「α7」を買ったのを契機に、徐々に一番レフの使用頻度が減り、ある時点で手持ちの一眼レフカメラとレンズ一式を手放した(下取りに出した)。
ここら辺の経緯については、次回に書こうと思う。
なんの捻りもないが、きちんと面白い良作--「オケ老人!」
「杏の初主演映画!」と聞いて是非観に行こうと思っていたら、何故か松山地区では全国公開初日の11月11日にはどこの映画館でも掛かっていなかった作品。少し遅れて松山でも1館だけで公開となったので、公開2日目に見に行った。(見たのは少し前になる。感動をまとめるのに時間がかかりすぎだ。反省)
松山では1館だけって事もあってか30人程度は入っていた。前に書いた「RANMARU 神の舌を持つ男」よりも、こっちをメジャーに公開した方が良かったのでは?と思わせる入り。観客の年齢層はやや高めの印象。
勘違いで老人ばかりのオーケストラに入ってしまった主人公の杏が悪戦苦闘しながらダメな組織を再生して行くという非常にありふれたパターンの映画だが、芸達者な出演者と手堅い演出で、思った以上に面白かった。
ちなみに、杏は地方(足利市?)の高校教師だが、別に完璧な人間ではなくて、勘違いして入ったオーケストラも頼まれるとすぐには辞められないし、本来の志望である「梅フィル」にも入団して二股を掛けたり、割と等身大の描かれ方をしている。
ここら辺「花咲舞が黙ってない」でもそうだが、杏って、スタイルもルックスも(女優としての血筋も)申し分なくハイレベルなのに、等身大で庶民的な女性を嫌みなく演じる事ができて、なかなか貴重な存在だと思う。
ストーリーとしてはありふれていると言っても、「老人」をテーマにした映画であり、「老人には何が起こるかわからないから面白いんだよ」と言っていた(あまり見たことのない俳優が演じている)男性が、次のシーンでは死んでいるという老人ならではのギャグとか、多少ボケていて水道の蛇口を閉め忘れる老女の描写が後半の「緊張して蛇口を閉め忘れる杏」に繋がったり、いろいろと考えさせられるシーンもあった。
それ以外にも、杏が「梅フィル」に向けて練習するために、かなり高価で大きな「防音室」をネットで買う下りとか、買ったものの部屋に収納するのに苦労してベッドに行くのにも苦労する状態になる下りが面白くて思わず笑ってしまった。
館内にも、暖かい笑い声が続いていた。
それ以外にも、先生なのに恋のことでは経験豊富な(?)生徒に教えを請うと言う関係の杏と生徒(黒島結菜)の距離感とか、胃が痛くなりそうな緊張感が伝わるライバル団体「梅フィル」の入団テストに向けての杏の練習シーンを通じて描く「音楽として間違っている」事の表現とか、見どころが多かった。
全体的になんのひねりも意外性もないとしても、脚本と演出がきちんとまとまっていて出演者がちゃんと演じていれば、水準以上に面白い映画ができるって事がわかった。
それと、この映画を見て始めて星野源と坂口健太郎が別の人だと気付いた。
「星野源って、歌も売れてエッセーも書けて、『とと姉ちゃん』の彼氏も演じて、『逃げ恥』や『真田丸』にも出て。2016年大活躍だな」と思っていたが、『とと姉ちゃん』の彼氏の役名が「星野さん」だったから余計にこんがらがっていたらしい。
「ほら面白いでしょ!」と言われ続けると醒めてくるよね--映画「RANMARU 神の舌を持つ男」感想
今年の7月から9月に連続ドラマとして放映され、「TRICK」や「SPEC」の堤幸彦の演出として高視聴率が期待されたものの「爆死」とも言われる低視聴率に終わった作品の劇場版。
向井理に木村文乃と佐藤二朗の主人公トリオが各地の温泉宿で起こる殺人事件を解決する2時間サスペンスのパロディだが、なんか滑っていると言うか「面白いでしょ!面白いでしょ!!」と押しつけられた笑いというか、なんかズレていて「SPEC」ほどは楽しめなかった。
それでも、木村文乃の無意味なコスプレとか片瀬那奈が出たバスガイド篇とか、変に面白い部分もあり、なんかクセになって全話録画して観てしまった。
最後まで低視聴率に終わったものの、当初の予定通り映画化されると聞き、「自分みたいなファンが観なければ」と行ってみた。観に行ったのは封切り2日目の日曜日で客は10人程度。
観る前から、私のような素人でも「劇場版も爆死するよな」と思うような状況だが、松山市内でも3つの劇場で公開されている。配給側には自信があるのかもしれないが、どう考えてもスクリーンが多すぎるのでは?
いきなり「テレビ版を観ていない人が多いだろうから、あらすじを紹介しよう」と言う自虐的ナレーションから始まったが、確かに私の周りでは、観てる人がいなかった。
内容は、テレビ版の拡大版に過ぎず、特別に豪華な内容ではない。
そのため、ほぼ全編、温泉地の変な人たちと木村文乃が滑ったギャグを繰り返す映画で、1つのストーリーなので、木村文乃のコスプレも多彩な個性的登場人物もなく、思った通り(いや思っていた以上に)「滑った」映画だった。
(ちなみに、木村文乃が悪いってわけじゃなくて、与えられた仕事はキチンと演じていたと思う)
細かく見れば、木村文乃の「ボルシチ!」とか「リオデジャネイロ!」とか「立ち入り禁止」の柵を躊躇なく破壊するところは面白かった。
それと、佐藤二朗が怪談を語りながらスケッチブックを描くところ、突然出てくる竹中直人!も良かった。
登場人物の顔がカットごとに大きくなるギャグは映画オリジナルだが、私の周りの観客から唯一笑い声が出ていた。
最後の、似顔絵をバックに繰り広げられる掛け合いは長すぎてクドくて、痛々しさを感じるほどだった。
もっと2サスのパロディに徹して、さまざまな2サスのパターンを再現したら良かったのにと思う。
どうせなら最後に、向井理が「SPEC」の「世界」になる話だったら驚いたのに。
進化した部分と悪化した部分。ポメラDM200レビュー:第2回
まだまだ続くよポメラの話。これまでのお話はこちら。
進化した部分
5年振りの新機種と言う「この業界じゃなくてもどうなんだそれは?」って程の時間が開いてしまった新型ポメラ「DM200」。
私みたいなポメラへの思い入れがあるユーザー(DM10発売当時は「ポメラニアン」って呼ばれていた)を別にして、一般的にはどんな評価をするべきなのか?
2016年に「テキスト入力専用機」の存在意義があるのかは置いておく(次回以降に書く)として、前機種と比べて最も大きな改善点は2つ。「ATOKの強化」と「キーボードの改良」である。
ATOKの強化
これは、使ってみてすぐにわかる。
これまでのポメラのATOKは非常に低レベルで、実用的にはギリギリの変換精度だったが、DM200のATOKはパソコンのATOKにかなり近付いている。
DM200の宣伝文句である「桜の花が咲きました」はできて当然って気もするが、入力していてストレスを感じることがほとんどない程度には、改善を実感できる。
ただ、いまのパソコンやスマホ用のATOKが持っている、推定変換や言葉の意味をネットから拾ってくる機能、新しい言葉を自動的に追加してくれるサービスには対応していない(できない)。そのため、来年の今頃は「この言葉が変換できないのか?」と思っているかもしれない。
キーボードの改良
これも、すぐ体感する。
これまでのキーボードとは、キーボードのスプリング(って言っていいのか)の部品が違うそうで、しっかりした鉄板の上にキーボードが乗っている気がする。
薄さとコストを優先して「打ち心地」を犠牲にしているノートパソコンと比べるとその差は大きい。
私は、デスクトップパソコンでは東プレの製品を使うぐらいにキーボードにこだわりがある方だが、このポメラのキーボードは、打っていて楽しい使い心地である。
その他の改善点
それ以外に、アウトライン編集に対応していて、行頭の記号(初期値はピリオド)の数で階層を指定できる。
この機能は、普段使っているWindowsのEDITORソフト「WZ EDITOR」と同じで、それなりに長い文章を打つ時には非常に便利である。
悪化した部分
「悪化」と言う表現が正しいのかわからないが、前機種に比べて悪くなった点も実はある。
まずは、特徴であった乾電池駆動を捨て専用の内蔵バッテリーになった事。
これは、いざというときにコンビニで買った乾電池が使えるって安心感がなくなったものの、ATOKの強化とか液晶モニターの大型化にともなうことなので、仕方ないかなと思う。バッテリーの充電はUSBのtype B端子で行えるのでモバイルバッテリーが使えるし。
個人的に大きな問題は、重さが100g増したことで、ある意味DM200の存在意義を脅かすのではないかと思っている。
DM100の重さの400gと言うのは、デジカメとか7インチのタブレット、書籍1冊分であり、気軽にカバンの中に放り込めたが、DM200の550gは、ズッシリと重さを感じる。
「変換効率が悪くてキーボードの質感が低くても、小型軽量でどこにでも持ち出せる」と言うポメラの良さが、変換効率とキーボードの質感という確かに重要な要素を満たすためにスポイルされるとは、皮肉なことだと思う。
それでも結局は
いい点も悪い点もあるDM200。単純に「出来る事」だけから考えると、値段も高く選ぶ意味はないかもしれない。
それでも、これまでネットで話題になりそれなりに売れてきたポメラの魅力は引き継いでいると思う。
「その魅力とは…」って話は次に書きます。